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Enrico Toro Centerba(チェンテルバ)について

チェンテルバ :「緑の州」/「緑の100のハーブのお酒」

チェンテルバは、イタリア語でCenterbaと書きます。Cento(チェント)+Herba(エルバ)からできた名前です。Centoはイタリア語で100、Herbaはハーブを意味し、たくさんのハーブを使って作ったことから名付けられました。
イタリアのアブルッツォ州で200年以上昔から、体調を整えるためや食後酒として飲まれてきたハーブ酒です。

アブルッツォ州は、イタリア中部にあり、緑豊かな山岳地帯や丘陵地域が多く、「緑の州」とも言われ、古くから大自然に寄り添いながら生活し、伝統を重んじてきた地域です。 イタリアを縦断するアペニン山脈の最高峰グラン・サッソ周辺の豊かな自然は、アブルッツォ州の人々に豊かな農作物を与え、羊たちに理想的な環境を与えていました。そのような自然環境の中で自生する力強いハーブの効用を活かし、薬剤師であるBeniamino Toro(ベニアミーノ・トロ)がチェンテルバ(Centerba)を作ったのが、今から遡ること200年以上前になります。

チェンテルバ(Centerba)の歴史は200年以上昔、1817年に薬剤師のBeniamino Toroがアブルッツォの人々に「母なる山」と言われているマジェッラ山岳地帯のモッローネ山、マジェッラ山などで採れるハーブを集め、レシピを練り、作り上げたハーブ風味豊かなリキュールです。
当時は、薬代わりとして作られ、その地を行き交う巡礼者や羊飼いに愛され、徐々に薬用酒として人々に広く知れ渡りました。

語り継がれているチェンテルバ(Centerba)の逸話

チェンテルバ(Centerba)について、アブルッツォでよく語られるエピソードがあります。

1884年にイタリアでコレラが流行した時のことです。当時ナポリ王国ではチェンテルバ(Centerba)がその治癒に役立つと考えられ、毎日・毎晩チェンテルバ(Centerba)を積んだ馬車がアブルッツォからナポリに向かっていったそうです。
未知の病の恐怖にさらされた人々が、「何かないか」とすがったのかもしれません。

チェンテルバ(Centerba)により、少なからず当時の人々の気持ちが落ち着いたであろうことが想像できます。そのことは、今でもToro社の誇りとなっています。

受け継がれる門外不出の秘密のレシピ

チェンテルバ(Centerba)のレシピは、「門外不出の秘密のレシピ」と言われ、Beniamino氏に始まり、父親から息子へと引き継がれ、時代が変わってもなお、Toro社の宝となっています。

砂糖や香料を加えずに抽出したハーブと高いアルコール度数のハーブ酒は、現代では主に食後酒として楽しまれています。 また、最近では、その綺麗な色やハーブの風味を活かし、カクテルやデザートなどにも使われ始めています。

アブルッツォ州の緑豊かな山脈を思わせる緑、そして強くも穏やかなこの「緑のお酒」チェンテルバ(Centerba)は、アブルッツォ州の雰囲気と特徴が凝縮されています。